2012年5月 1日 (火)

ゴミ袋のタイガーマスク

小学生の頃、ビニールのゴミ袋を使って
「ビタミン・ヤスイ」という名のオリジナル覆面を作ったことは
以前にも一度書いたのだけれど、
今回はそれと同時期のプロレスネタ、
タイガーマスクの話を書いてみようかと。

というのも、ここ最近、と言うか、昨年あたりから
またまたかなり本格的にプロレスラーのマスクの仕事に
携わるようになっていて、
(そうなると、作業中に古い記憶が蘇ったりもするもので)
今回はそんな流れの中で思い出した
「ゴミ袋のタイガーマスク」の話をひとつ。

   ★     ★     ★

正体不明の謎の覆面レスラー「ビタミン・ヤスイ」のマスクは
僕が作ったマスク第1号ではなく正確には第2号で、
初めて作ったマスクはタイガーマスクだった。

それは、空前のプロレスブームに湧く80年代前半、
僕が5年生から6年生にかけての頃の話。

ある日、「よし、タイガーマスクを作ってみるか!」と思い立って、
台所や物置から使えそうな材料をかき集めた。

とりあえず、マスクの基本形は
ゴミ袋でなんとかなるだろう、という事で
ゴミ袋を頭に被って
余ったところをセロテープで貼り合わせて、
金色のペイントマーカーで塗装。

あとは厚紙で目や耳を付けて、たてがみは
確か、くしゃくしゃに丸めたティッシュを
両サイドに接着して表現した、と思う。

それは、冷静に眺めてみると「ゴミ袋感」丸出しの
なんとも残念な仕上がりではあったけれど、
覆面を被った時の「圧迫感」というか「孤立感」というか、
なるほど、覆面を被るとこんな気分になるのだな、と、
そういう感覚に対して妙な納得感というか、
リアリティを感じたのを覚えている。

   ★     ★     ★

そんなある日のこと。

学校に行くと仲間たち数人の人だかりができていた。

なんだろうと近寄っていくと
黄金のマスクがガツン!と目に飛び込んで来た。

「うわ、スゲー!!タイガーマスク!!」

それは、クラスの金持ちの友達が
親に買ってもらった「本物の」タイガーマスクだった。

当時は、マンガ雑誌の通販広告で
タイガーマスクやマスカラスなんかの覆面がよく売られていたけれど、
彼が持ってきたマスクは
そんなパーティーグッズみたいに安っぽいマスクとは違って
「本物のマスク職人が作る本物のマスク」だった。

彼は、プロレス専門誌の後ろの方に小さく載っていた
本物マスクの工房に現金書留を送って、
数万円もする「選手本人仕様のマスク」を購入したのだった。

マスクに興味の無い人…と言うか、良識をお持ちの大人の方には
「そんなの、どっちも同じようなモンだろ」と思われるかもしれないけど、
本物のマスクってのは素材や縫製が根本的に違っていて
(当然、価格も大幅に違っていて)
「高価なもの」としてのオーラを放っていることは
子供の目にも明らかだった。

そのマスクは、机の上に置いてみると
クシャッと潰れることなく
丸い形をキープしたまま置くことができ、
雰囲気的には布キレの覆面というより
柔軟性と硬質感を併せ持った革製のヘルメットのような印象だった。

スゲー…

僕たちはしばしため息をつきながら
うっとりとそのマスクを眺めた。

それは「学校」という日常空間の空気を
ブッ壊すほどインパクトだった。

いろんなモノを「見る」という経験が
圧倒的に乏しかった(であろう)小学生の僕には
そのマスクはあまりにも眩しすぎて、
「神々しい」と表現しても決して言い過ぎではなかったと思う。

「そうか… あの小林邦昭は、こんなに高そうなマスクを
 毎週ビリビリ破いているのか…」

と、悪役レスラーがテレビ中継で行なう「お馴染みの悪行」に対しても、
本物マスクと対面する事で改めてリアルに憤慨したりもした。

そして、ある程度冷静になった頃、
僕は例の「ゴミ袋のタイガーマスク」の事をふと思い出した。

今の今まで、「あのマスクをクラスの友達に見せたら
さぞかし驚くだろうな」と思っていたのだけれど、
さすがにこの流れの中では
あのゴミ袋マスクは学校に持ってこない方が良いだろう、と、
一人で勝手に恥ずかしい気持ちになったのだった…。

   ★     ★     ★

0501_01 後々、マスクのことを研究して                    
プロが使用するマスクを自分でも作るようになってから、
当時のタイガーマスクってのは
本当に良く出来たマスクだったのだ、という事に改めて気がついた。

布のベースに対して本革製の模様がまるで「骨組み」のように
マスク全体に張りを与える構造でできている事。

ラメ生地とエナメル革とボア生地の「異素材」が一体となった素材感。

キャラクターの足跡にさらに深みを感じさせると共に、
造形的な試行錯誤の痕跡に勉強させられる部分も大きい
様々なマスクバリエーション。

…それはあらゆる面で本当に「良くできた」覆面だったのだ。

   ★     ★     ★

今もプロレスマスクを作る時には、
たまにあの時の、学校で見せてもらったタイガーマスクの事を思い出す。

そして,同時にゴミ袋のタイガーマスクの事も思い出す。

もしかしたら、あの時に見た「本物のタイガーマスク」は、
今見たらそんなに大袈裟に言うほど出来が良いものでは無いのかもしれない。

でも、脳内で美化されて鮮やかな印象として残っている
あのタイガーマスクのイメージこそが、
僕にとって大きな「基準」になっている事は確かだ。

あんな風に、日常のまったりした空気をブッ壊すようなマスクが作りたい。

そして、同時に「ゴミ袋のタイガーマスク」の精神も忘れずにいたいなぁ…と、
こんな風にまとめるとちょっとカッコ良すぎかもしれないけれど、
まぁ、そんな事を思いながらミシンを踏む日々なのでした。

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紙工作の達人

0324_01 まずは右に並ぶ画像を見ていただきたい。

淡いセピアの風合いと精密な造形が
強い存在感を醸し出している模型の数々…。

実は、これらの作品は全て
ボール紙で作られた「紙工作」なのだ。

画像を見るだけでも、
それらがとても精密に作られている事は
0324_02 十分伝わると思うのだけど、
実際に触ってみると
自動車のタイヤが回転するのはもちろん、
例えば戦車のキャタピラは実物と同じように
1枚1枚が連動するように作られているし、
仏塔の柱の組み方は
実際の宮大工も舌を巻く完璧な構造で作られているのだ。

そんな超絶的な作品を作った人物は
小山強さん、御年81歳(!)。

0324_03 今回、京都市内に新設されたギャラリーで
生涯初の個展が開かれ、
その作品群が初めて世間に紹介された、というワケなのです。

   ★     ★     ★

数ヶ月前に、僕はトランスポップギャラリーの山田氏から
この「達人」の事をお聞きした。

達人は、衣料品店経営の傍ら
シャツの台紙などに使われているボール紙などを利用して
0324_04 紙工作を作り続けてきた、という話だった。

その時点で、僕は(一方的に)大きな親近感を覚え、
これは一度お会いしなければ、とテンションが上昇。

小山さんが、京都と奈良の県境近くの
山間部に住まれている、という話からも
僕の中では勝手に仙人っぽいイメージが膨らみ、
ちょうど、映画「酔拳」に出てきた
拳法の師匠ような超人が
0324_05 山にこもって紙工作を作っている姿を想像して、
一人で勝手に楽しい気分になってしまったワケだ。

そして3月の日曜日、
僕は約束の時間にギャラリーに足を運び、
達人と念願の初遭遇を果たした。

   ★     ★     ★ 

僕の前に現れたご本人は
シャキッとハツラツ、陽気なオモシロおじさんで、
0324_06 僕は工作好きだった祖父の事を
ちょっとだけ思い出したりしていた。

それからしばらく、
僕はこの達人とお話させていただいたのだけれど、
会話の中で僕はこの達人の
さらなる超人技を知る事となるのだ。

その驚愕の超人技とは…「記憶力」。

なんと、これらの紙工作(のほぼすべて)は
0324_07_2 写真などの資料を見ながら作ったのではなく、
「記憶」だけを頼りに制作されていたのだ!

   ★     ★     ★

紙工作のモチーフは、戦時中にご自身が乗っていた輸送船や
タクシー運転手だったお父さんが運転していたクラッシックカー、
引っ越した先で走っていたバス、
近所のお寺、ご自身の歴代のマイカーなど、
「自分と関わりの強い乗り物や建物」が大半を占めている。

0324_08特に、戦時中(ご自身が13〜14歳の頃)に
機関員として乗っていた輸送船
「朝博丸」に対する思い入れは強く、
50センチほどの大きさで作られたその紙工作は
1フロアごとに4層構造に分解することができて、
船底の動力部や物資倉庫、
中段の客室、乗務員室、最上階のサロンの机の配置や
厨房の炊飯器の位置に至るまで細かく完全再現されているのだ。

写真を見ずに、なぜそこまで
0324_09精密に作れるのかを聞いてみると、ご自身は

「(空襲で)港近くに機雷を撒かれると
 2〜3日出港できひんのや。

 そうなると、こっちは何もする事がないから
 船の端から端まで見学して歩くんや。

 それで船に詳しなったんやな。ハハハ!」

との事…。

0324_10話を聞いていると、達人の脳内では
目で見た「カタチ」が「画像」として記録されているようで、
脳内の資料画像を見ながら
立体を作っているように感じられた。

   ★     ★     ★

その後、達人のトークはどんどん調子が出てきて、
船の構造や、当時遭遇した様々なエピソードなども
「さっき見てきた事のように」話してくれたのだけど、
0324_11_2話を聞けば聞くほど
やっぱりこの人の脳ミソは
凡人とはちょっと違った構造なのではないか、と
思わせる雰囲気があった。

百歩譲って、思い出を詳細に話すことは出来たとしても、
記憶だけを頼りに
内部構造まで含めた乗り物の形状をここまで断定的に、
バランスのとれた立体に起こす事は
普通の人間にはまず無理な事だ。

0324_12プラモデルの名人や造形のプロでも
そんな特殊能力を持つ人は
極めて稀なんじゃないだろうか、と思う。

そして、紙工作が「紙そのもの」の素材色のままで
まとめられている事についても

「色を塗ると、あんまり良うないんや。
 カタチが分からんようになるし。

 色塗らん方がラクやしな! ハハハ!」

との事なんだけど、
僕はその飾らない言葉の裏側にある美意識を強く感じた。

そんな事を思いながら、
改めて尊敬のまなざしを向けてみると

「(自分は)ようしゃべるやろ?

 耳が遠なってから人の話を聞くのが面倒になって、
 相手にしゃべる隙間を与えんほど
 こっちからしゃべるようになったんや! ハハ!

 でもえらいもんで、
 耳が遠なったぶんションベンは近なったんや! ハハハ!」

といった感じで、師匠芸人風の関西式トークで
はぐらかされるのであった。

   ★     ★     ★

…とまぁそんなワケで、達人の話もいよいよ佳境に入った。

達人は、近所の人たちから
紙工作の上達法を聞かれる事もあるようで、
そんな時はこんなふうに答えているそうだ。

「まずはカミを知れ、って言うねん。

 カミを知れ。カミに寄り添え。

 どや? キリストみたいやろ? ハハハ!

 あとは根気と妥協やな」

紙を知る事。そして紙に寄り添う事。あとは根気と妥協…。

紙工作の神髄ここに極まれり、か…。

達人、今日は大変勉強させていただきました。

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